好きなジャニーズを「担当」するということ

数いるジャニーズの中で、自分が好きなメンバーを応援することを、ファンは「担当する」と言う。女性アイドルに対してなら「推し」という言葉が使われると思うが、ジャニーズファンは「担当」という言葉を使う。

 

私は2009年頃からジャニーズオタクをやっているのだけれど、今まではあまり「担当」という言葉に抵抗がなかった。というか、ツイッター等をやっていなかったので、担当という言葉を使う機会がそもそもそんなになかった。一般の人は私がジャニオタだと知ると「誰担?」ではなく、「誰が好きなの?」と聞くからだ。

 

私が最近「担当」という言葉に疑問を持ち始めたのは、その言葉があまりに曖昧で、その曖昧さが厄介ごとを引き起こすからだ。「担当=1番好きなメンバーだからシンプルじゃん」と言われるかもしれないが、最近は◯◯担と発言することに抵抗を持ち始めるようになってしまった。

 

そのきっかけが、何を隠そう、「担降り」なのかもしれないと自分では思う。

私は中学生の時に嵐の大野くんのことが好きになり、熱狂的なファンになった。嵐さん全員好きだし、全員に対して「かっこいい・可愛い・大好きだ」などの感情を持っていたが、大野くんは明らかに想う気持ちだったり、気持ちの種類が違っていた。(なんだか文章が痛々しい!みなさん引かないで!)ああ、これが「担当」することなのか、とハッキリ理解したし、他に好きなジャニーズや芸能人がいたとしても、大野くんはやっぱり私の中で圧倒的存在だった。例えると、「殿堂入り」しているというか、ちょっとやそっとでは私の心の頂点に立っている大野さんが引きずり下ろされることはなかった。

 

1年ほど前にSexy Zoneにハマってからも、私の担当はやっぱり大野さんだった。嵐熱が冷めるどころか、セクゾちゃんがいることで、逆に自分の中で大野くんが揺らぎない存在であるということを実感したし、担当ってこういうものなのか、とますます「担当」という言葉の意味を噛み締めていた。

 

しかし、色々経て永瀬廉くんに堕ちてからは、自分のことを「大野担」だと名乗れなくなってしまった。今までだったら嵐とセクゾの応援を上手く両立できていたのだけれど、廉くんに堕ちてからは、心の中が「れんれん!!!!!」となってしまい、ハッハッハと私の心のピラミッドの上で仁王立ちしていた大野さんが転げ落ちてしまったのだ(なんか想像すると可愛い)。廉くんが圧倒的存在すぎて、今まで嵐さんに割いてた時間を全て廉くんに費やすようになった。嵐、セクゾ、廉くん(キンプリ)のジャグリングができなくなり、嵐さんのピンだけ落としてしまった。

 

廉くんへの愛が増していく一方で、どんどん嵐さんへの興味が薄れていく自分の心境の変化に最初はついていけず、嵐離れしたくないよ〜なんて思ってたりしたんだけど、ある日気づいた。これはいわゆる「担降り」ではないのか、と。

「担降り」という言葉が脳内をよぎった瞬間、これは担降りなの???そもそも担降りってなに??何故降りなきゃいけないの????え、ツイッターで宣言すべき??って頭は混乱していく一方で。

別に嵐さんを嫌いになったとかではなく、ただ廉くんに心を奪われただけだから嵐さんのことは好きだし担降りしたくないよ〜って拗ねてたわけです。(じゃあしなきゃいいだろっていうツッコミが聞こえてきそうですが、ここからが本題)

 

「嵐、セクゾ、キンプリの掛け持ちです」って言えば解決する話なんだろうけど、「担当」っていう言葉は何だか特別に聞こえて、荷が重いというか。軽々しく「担当でーす」って言ってしまうのは、他のファンにも失礼な気がして。こうなったらセクゾとか廉くんとか関係なく、私は大野担を名乗れるの?という疑問が頭に浮かんできたわけです。

色々考えているうちに「担当って何だろう」っていう、根本的な質問が頭に浮かんだ。

 

10年間好きな人の「担当」と名乗ることも、昨日知ったジャニーズの「担当」だと名乗ることも、何でも許されるこの曖昧さで、「担当」と「そうでない人」の線引きをしなきゃいけないという謎の使命感に駆られた。というか、そうでもしないと自分が心苦しかった。

 

今まで私の中で「担当」の定義は「他のメンバーとは比べものにならないくらい好きだという気持ちを持てる人」だったので、そうなると私の担当は大野くんではなく、廉くんだな、という結論に至った。(あっさりかよ)

でもだからと言って担降り〜?ん〜?って感じで、結局大野くん担降り事件は未解決のまま私の中でうやむやにしてた。(今となっては、はっきり「降りた」と言えるくらい嵐に対しての情熱が冷めてるんだけど、その頃はやっぱり受け入れられなかった)

 

大野くんのことは一旦置いといて、「よーしこれからはとりあえずれんれん担を名乗ろう!」と思っていたところに、新たな波がやってきた。

黒髪にした国民的彼氏に心を奪われてしまったのだ。(ここまで書いてきて気づいたけど、私って尻軽...?)

オタクの間で誰でも大好き、という意味のDDという言葉がよく使われるが(私は全然いいことだと思うんだけどファンの間では悪いニュアンスとして使われてるように見受けられる)確かにジュニアのみんなはすごく魅力的で、得に少クラなんかを見てる時は「あの子も好き!この子も好き!みんな大好き!地球最高!」という気持ちになる。この夏、キンプリという新ユニットが結成されて、私が元々好きだった6人が揃ったということ、それから私はジュニアオタ歴はそんなに長くないので目移りしやすいということ、の二点が原因なのかもしれないけど、週一くらいの頻度で「神宮寺く〜ん!付き合って〜!!」ってツイッターで叫んでる気がするし、カイちゃんのダンスが大好きだからライブの映像などを見てる時はカイちゃんに目が釘付けで、廉くん以外にデレデレしまくることなんて日常茶飯事なのだ。

セクゾに関しても、今まではひたすらちょりたんのことが大好きだったのに、最近はキラキラアイドル松島聡くんのこともいいなって思ってるし、とにかく揺れまくってるわけです。

 

もちろん他のジュニアにデレる分、その数百倍廉くんに対してデレてる(と思う)し、いくら放置したってやっぱり私の中の1番は永瀬廉くんであるのは確かだ。(廉くんがいない番組とかコンサートはやっぱり見てて物足りない)

でも、そのうちジンちゃんとか、岸くんとか、まちゅくとか、私が今可愛い!好き!推せる!ってなってるジュニアが私の中の1番になったら、「れんれん担降ります」って言わなきゃいけないのか〜〜〜〜〜って考えるとなんだか億劫で。というか、私の中で「担当になる=ある程度長い期間責任を持って応援する」みたいなイメージができてしまって、安易に「◯◯担です」って言いづらくなった。

今の私にとって、ジュニアを応援する上での醍醐味であり1番楽しいところは、軽率に色んな人に沸けることであって、例えばガムシャラを見てる時も、好きなジュニアが3人も4人もいて、「みんな違ってみんないい♡全員好きだからおばさんどこ見ればいいか分かんな〜い♡♡」ってあたふたするのが楽しいのだ。

 

ジャニーズの楽しみ方って人それぞれあるし、応援の仕方だって色々あると思う。

今までの私は、多くの人がそうであるように一人の人を愛す(愛すって言葉、別に痛くないよねうん!!!!!私はリアルに重い愛情を持って大野くんを応援してましたケド????)パターンだったんだけど、今は「あっちこっちそっちどっち〜〜〜♡」状態で、でもそれがめちゃくちゃ楽しいのです。このような応援の形態とその楽しさを知ってしまった今、「一人の人だけをひたすら愛す」パターンに自分の現在の応援形態が当てはまらないというか、当てはめたくないという気持ちになっている。

今まで普通に「担当」という言葉を使ってきたけど、「永瀬担である私」が軽率にジンちゃんに沸いていいの?とか、たかいとのダンスばっかり見て廉くんのダンスは見ないって変?って考えたり、岸くんに心持ってかれそうになった時に「いやいや、私廉くんの担当じゃん」って自分を引き止めそうになるのも何だか違うし、面倒くさいな、って思うようになってきた。例えば雑誌のページで「このジンちゃんかっこいい!」ってなったとして、自分は永瀬担だから神宮寺担ほど沸いてないかと聞かれれば、きっとジンちゃんの担当さんと同じくらいキャーキャーキュンキュンしてるんだと思う。決して神宮寺担と張り合ってるとか、応援の熱意の順位付けをするつもりではないけれど、「あー神宮寺くんいいよね〜」程度ではなく「私もジンちゃんが好き!!」って声を大にして言いたいことが多々ある。でも「廉くん担当」だとそれをしてる自分にちょっっっっっとだけ罪悪感を覚えるってだけの話です(笑)

自分の心の中のイチバンが変わってしまうかもしれない時に、今まで好きだった人がその足かせになったり、「担降り」という面倒くさい段階を踏まなきゃいけないのは、単純に今の私には合っていないのだと思う。

 

担当って、「1年以上想い続ければ担当になれる」とか、「いくら以上貢げば担当を名乗れる」みたいな制度がないから(あったら怖すぎる)名乗るのも自由だし、好きにすればいいんだと思う。担当を名乗ってる人に対してどうこう思ってるわけでもないし、同担や掛け持ち拒否でもない。ただ、今の私は色んな人に沸くから、担当という言葉をあまり使おうとは思わないかな、ってだけ。廉くんは特別だしイチバン、でもそれが今後どうなるかは分からない。今はそれが私の中で揺るぎないけど、いつか、別の人を好きになるかもしれないし、その人を好きになった時は急に担当を名乗るかもしれない。逆に明日「♡♡♡廉くんの担当です♡♡♡」ってツイッターのヘッダーに書くのも、全然ありえる!笑

 

でも、色々考えてみて気づいたのは、「担当」という概念は周りがどう解釈していようと、自分で決めることができるし、「担当する」のも「担降りする」のも自由だということ。好きだからと言って担当しなきゃいけないわけでもないし、別の人を好きになったり、気持ちが冷めてきてしまったからといって担降りしなきゃいけないわけでもない。そりゃそうでしょ応援するのは自分なんだから、と言われるかもしれないけど、あまりに担当という概念に囚われすぎて私はそのことを忘れかけていた。

アイドルファンって基本自由にやるものだし、好きって気持ちが増えたり減ったり変わったりするのは当たり前だ、っていうことに気づいてから気分が軽くなった。1番を作りたきゃ作ればいいし、今はいいやと思う時は複数人を応援してればいい。応援の仕方に正解なんてない、っていう当たり前のことに私は気づいてるつもりで気づいていなかった、ということに気づいたのです。(※つまらないダジャレではないです)

 

これからも楽しく、気楽にジャニーズを応援していこうと思う。